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歴史と風情ある庭園を楽しむ、二宮家庭園特集

日本庭園「静勝園」

日本庭園「静勝園」

 

静勝園は、新発田藩のお抱え庭師・大倉槙平が「蓮池堂」と呼ばれる母屋から弁天潟を眺め、四季折々の草花を楽しめるように作り上げた日本庭園です。当時はハスがたくさん見られたとのこと。

 

東側から西側にかけて多様な樹木が植えられた平庭や弁天潟に張り出した「涼亭」と、土を盛り、その頂部を景勝点とした築山と枯山水といった変化に富んだ構成となっています。

平庭には、黒松・赤松などをはじめ、春にはサツキやツツジ、夏には百日紅、秋には楓など四季折々の色彩が楽しめます。他には、節が亀の甲羅のように見える「亀甲竹」と呼ばれる珍しい竹や樹齢150年を超える大楠木、羅漢樹(らかんじゅ)、椨の木(たぶのき)があります。

 

加えて静勝園には逸品が数多くあります。

明治天皇が白勢家へ立ち寄った際にその上で靴を脱いだと言われる加茂川石で作られた「沓脱石(くつぬぎいし)」、千利休の故事に由来する「石臼」、豊臣秀吉から溝口公、清水園、白勢家と巡り巡って現在二宮家に来た「五重塔」。

これらの逸品たちが合わさり、日本庭園の趣と歴史を深めています。

溝口藩お抱えの庭師・大倉槙平

 

常に城内の庭の手入れをする生真面目さ。参勤交代で殿様が江戸へ行き、目の届かない時でも手入れを怠らなかったとのこと。

さらに冬になると、箱庭を作り、研究に余念がなかったそうです。

適合する樹木や石を探してつくるのではなく、持ち合わせの樹木や石を自在に組み合わせて作るのが得意であったと言われています。

二宮家と弁天潟

 

二宮家庭園に隣接する弁天潟。

約8,000坪もあるこの池は、所在地が「聖籠町蓮野」という地名のとおり、夏には蓮花が水面を多い、冬には白鳥やカモが水面を泳ぐ昔からの自然環境が保たれています。

現在「弁天潟風致公園」と呼ばれ、人々の憩いの場となっていますが、かつては新発田藩主・溝口公の舟遊びの池だったのです。明治初期に、二宮家は、この池を300両(約1,200万円)で譲り受けました。

現在は聖籠町の管理となっていますが、昔と変わらず、庭園から見える美しい弁天潟と庭園が一体となった景色を楽しむことができます。

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